平成28年10月20日、ネット上で 平尾誠二氏が53歳で死去の訃報に触れ!
あまりに衝撃的で愕然としました。
思えば平尾誠二が同志社大学で活躍した頃の、1980年に大学に入った身としては
大学ラグビー選手権決勝の常連校で 強かった頃の明治大学の前に立ちはだかる同志社大学、
それも司令塔としての平尾誠二の存在は強烈な印象として残っています。

※https://encrypted-tbn1.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcQBuULo7lfZ25M2XFw-_mNJX7a5QakS8OsiqiuvhLS3n2SxYa2gHAより引用
特に学生ながら口髭をはやしたちょっと生意気だけど、勝利に向かってのリーダーシップは
抜群で、敵ながらあっぱれと感じられたのが思い出されます。
大柄な体でありながら、体は柔軟で、巧みなステップワークで
グランド内を縦横無尽に駆け抜けて、空いているスペースを見つけて
キックでバックスを走らせ、余っている見方を見つけては外に展開する
正にマジックの様に楕円球のボールをコントロールして敵陣に攻め入る
不利な局面も一瞬にして有利な展開にする魔術師のごとき司令塔であった。
外見の格好良さと同様に勝利の女神からも愛され、伏見工業高校※1では
3年生の時 全国制覇※2 (1980年)、
同志社大学に入って大学選手権3連覇※3 (1982年~1984年)
社会人として神戸製鋼で日本選手権7連覇※4 (1988年~1994年)
ラグビーワールドカップの出場も3回を誇る。
正にラグビーの申し子のような人生を送ってきた
不世出のスターで軽妙洒脱な語り口からファンからも愛されたのに何故?…
平尾誠二氏のご逝去を悼み、衷心より哀悼の意を表します。
※1 京都市立京都工学院高等学校に併合予定。
※2 山口 良治(やまぐち よしはる)が落ちこぼれ生徒の巣窟であった
無名の高校をラグビーで強豪校に導いた。
熱血教師として1975年に赴任して弱小チームを僅か5年で全国初制覇を
成し遂げた。
テレビ等で取り上げられ、人情味あふれる指導がお茶の間にも感動を呼び起こした。
※3 同志社大学ラグビー部の黄金期。
同大の優勝は1980年の優勝を含めて4回のみ。
※4 神戸製鋼ラグビー部の黄金期。
神鋼は最多9回の優勝。
関連記事
→昨年のラグビーW杯の活躍が次回日本開催に夢を繋ぎました。
→ラグビー日本代表・捨て身のタックルでサモアの怪力軍団の足を止めた!